2024.01.07
がんばろう、石川!内灘!
投稿スタッフ
皆さま、新年あけましておめでとうございます。
まずは、この度の令和6年能登半島地震により、被災されました多くの皆さま、ご家族の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
私たちイチバのハコスタッフは皆無事に過ごしております。
色々と心を寄せていただき、誠にありがとうございます。
日に日に増していく被害の大きさを目にする度に心が落ち込み、未だに不安な状況の中、必死に耐えている皆さまのことを想うと、胸が締め付けられる想いでおります。
イチバのハコを運営する株式会社こはくでも1月5日に急遽スタッフ一同で集まり、これからが長期戦だから、少しでも私たちが出来ること、寄り添えること、応援できることを今後も継続して続けていこうと皆で誓い合いました。
さて、そんな話をしていたところ、5日夜に近江町市場の川木商店の髙田くんから、金沢市のお隣の内灘町西荒屋地区での被害が大きく、避難所での物資も足りていないから、近江町市場の有志ですぐ食べられるお弁当や果物などの支援物資を運んでいるから、こはくさんもその西荒屋での様子を発信してくれませんか?というお話を頂きました。
5日に賛同くださった忠村水産さん、刺身屋さん、フルーツ坂野さんの物資を届けて、翌6日もお弁当を持っていくとのことで、6日に早速同行させていただきました。
私たちも取材だけではなく何か出来ないかとすぐに話し合い、イチバのハコの料理研究家谷口がめった汁を作るから、温かいものを持っていこう!と先導を取ってくれ、6日午後に皆で集まって作ってお届けしました。
1日の震災後、金沢市内の私たちが暮らしているエリアでは、余震がたまにあったり、昼夜問わずヘリコプターの音が鳴り響いている以外は、生活が変わるような影響もなく、割とすんなりと日常生活にシフトしておりました。(金沢市内でも一部地域、まだ影響がある地区もありますので、あくまでも私たちのエリアの私個人の肌感です。余震があると、やっぱりまだハラハラドキドキしています。)
内灘町の被害は、震災翌日に報道を見て知ってはいたのですが、『まぁ金沢がこんな感じだし、近いから、大丈夫でしょー』なんて、大変失礼ですが、気にも留めず、テレビやSNSで流れてくる能登地方の被害にばっかり目を向けていました。
なので、髙田くんから最初このお話をいただいた際も、あまりにも実感が湧かないというか、「え?そうなの?」という感じでおりました。
能登地方の被害が甚大であるからこそ、そちらに目が行きがちであるのは当たり前ですし、皆各々得られる情報が限られているから、近くにいても知り得ないこともまだ多くある状況です。
様々な方が様々な方法で情報を発信されているので、私たちは私たちなりの、自分たちで見聞きした情報を発信できたらと思います。
素人の文章なので、もしかしたら配慮の足りない箇所もあるかと思いますが、ご理解いただけると幸いです。
では、本題の内灘町の西荒屋の現状(1月6日時点)です。
近江町市場から、車で20-30分程の地域です。
河北潟から日本海に流れ出る大野川にかかる橋を渡ると、金沢市から内灘町に入れます。
内灘町は、面積20.33㎢、人口26,574人(2020年国勢調査)の小さな海沿いの町です。
西荒屋は内灘町でも北東部のかほく市に近いエリアで、332世帯、816人がお住まいです(令和4年1月末)。
近江町市場で忠村水産さんのトラックにお弁当、途中私たちの町家でめった汁を積み込み16時頃に出発しました。内灘町に入ると、そこにはまだ金沢市と同じような日常風景が広がっていました。河北潟放水路を越え、しばらく車を走らせると、ある一角から、目を疑うような光景が広がりました。空間が歪んだような、一瞬で平衡感覚を失う光景です。
平坦だった道路がいろんな方向に歪み、地割れをし、電柱も多くが斜めに傾いています。
液状化の影響で、いろんなところに泥や土が流れ出ています。
奥に進めば進む程、車が通れない道が増えていきます。
西荒屋小学校手前で、今回髙田くんと連絡を取り合っているご兄妹が私たちの到着を待っていてくださいました。
妹さんが元々近江町市場に勤務されていたとのことで、震災後なかなか支援が届かない状況をSNSで発信されていたことを髙田くんが発見して、今回の活動が始まったとのことです。
私たちは50人前の食料を持参し、20人程が避難されている西荒屋小学校の避難所へ行くチームと、自宅に住まわれている方々に配るチームの2手に分かれて、ご兄妹と一緒にお弁当とめった汁をお配りしました。私は町の様子の写真を撮りたいと思い、ご兄妹の妹さんと各ご家庭を訪ねるチームに混ぜていただきました。
西荒屋地区は現在断水状態、電気は通っているものの、各家屋の状態によって通電してたりしてなかったりの状況でした。また、一部井戸を持っているご家庭があり、隣人がその井戸水を汲み上げて自宅に持ち帰られているような状態でした。
全壊は免れたものの、ほとんどの家は大きく傾き、それでも避難所での生活よりは、ということでご自宅で住まわれている方が多くおいでました。
お伺いしたご家庭は、全て何らかの被災をされており、傾いたり、家の前と後ろで大きく段差が出来ていたり、家の中心部だけ盛り上がって半分に折れているところをブルーシートで凌いでいたり、傾きで扉が開かなかったりと、1軒1軒お伺いする中で、なんとお声がけするべきか言葉に詰まってしまいました。それでも皆さま明るくお迎えくださり、その明るさが返って心に沁みました。
先述したように、内灘町は金沢市から近いから、買い出しに出られるのでは?と思っていた妄想は、ご家庭を巡る中、その道の状態の悪さや、車が家屋に押し潰されたり、砂に埋もれている状況を見て、一気に勝手な思い込みだったことがわかりました。
現場では、家を引っ越そうにもそんなにすぐに見つからないんだよ、とか、家庭内でも残りたい人と移りたい人がいて意見がまとまらないんだよ、とか、ご高齢者に施設に入ってもらおうとしても施設に入るぐらいならここで死ぬって意地を張って聞かないんだよ、なんてお話しもされていました。
長年愛し育んできた土地や家、家族や親戚やご近所さんとの繋がり、そんな1週間足らずで大きな決定なんて出来ないですよね。。それでも余震があるたびに、皆さん家の倒壊に怯え、これ以上被害が広がらないように願い、心休まらない時間を過ごされています。
ちなみに、ようやく7日から地域のほのぼの湯が再開され、被災者は無料で入れるとのことで、震災以降初めてお風呂に入る方もいらっしゃるようです。
能登ように地域全体が被災されている状況も本当に本当に大変だと思いますが、今回訪ねた西荒屋は、周りの地域は平常で、局部的な被災地域となり、それもそれですごく孤独な戦いだなと思いました。報道もほぼされていないことから、状況を知っている方も少なく、支援物資も足りず、地域の動ける今回のご兄妹のような若い方々が、地域を必死に支えています。金沢に出勤すると、周りの方との差にひどく落胆されるとのお話も伺いました。こんな地域が、他にも多々あるのではないかと思いました。
今まで、県外の友人から連絡をもらう度に、能登が大変で、金沢は大丈夫だよと回答していた自分自身も、顧みる経験となりました。
帰りの車の中で、忠村さんと「明日まで我慢したらこれは全て幻でした、みたいな状況だったらどんなにか良いのにね。一時期我慢したら何とかなったり、頑張って立て直せる災害とは全く違って、これからが本当に長いよね。」と話していました。
私たちが今回お届けした夕食も、これから長い戦いのたった1食です。
被災地地域の支援というものの、長期の挑戦の意味が、ようやく現実味を帯びて自分の中にインプットされました。これは、生半可な気持ちでは取り組めないことだなと。
1時間ちょっとしか現地にはいなかったのですが、私は金沢の自宅に帰ってからも、しばらくなんだか平衡感覚がおかしい船酔いをしたような感覚が続きました。
そんな中で今日も日常生活を送っている方々の様子を、少しでも早くお伝えしたいと思い、気持ちがまとまらない中でこのブログを書かせていただきました。
髙田くんや忠村さんは、今後も定期的に夕食をお届けするとのことで、現在賛同してくださる方を募集しています。直近ですと、来週の火曜日(9日)にも現地に入るとのことです。
ここ2日間の支援は全て彼らの自費や支援くださる店舗さんで賄っておられます。
彼らに直接でも良いですし、私たちにも、ご協力いただける方はご連絡をいただけると幸いです。
がんばろう、石川。がんばろう、能登。そして、がんばろう、内灘。
※このブログでは、写真が4枚しか表示できませんので、イチバのハコのInstagramでより多くの現地の写真をアップしています。